阿弥陀仏に救われた喜び

要約

一念帰命  →  阿弥陀仏に救われた 助けられた

死んでから救われたのではない 現在ただいま救われる

一念の救い →  だんだん救われるのではない

摂取不捨の利益 = 絶対の幸福

摂取    →  逃げ回るものを追いかけて追いつめて摂るということ 阿弥陀仏が追いつめて一念の瞬間におさめとる

不捨    →  絶対に捨てられない幸せ 金剛心 硬い心

感想

正信偈の最初の二行には阿弥陀仏に救われた喜びがかかれている。喜びが二行もかかれているところに、親鸞聖人の喜びがいかに大きかったのかがわかる。阿弥陀仏に救われるとはいったいどんな心境なのだろうと興味がわく。

摂取不捨の利益とは阿弥陀仏におさめとられて絶対に捨てられない幸せだという。それは老いがきても病がきても死がきても崩れない幸せ、絶対の幸福といわれる。そんな幸せがあるのか? と疑いたくなる。

親鸞聖人の喜びは、探しても探しても見つからなったものが見つかった喜び、やっと手に入れた喜びだろう。それが二行にわたっての大歓喜となった。

絶対の幸福があるとは思うが、果たして自分がその身になることができるのか? という疑問があるが仏法は聴聞に極まるといわれる。

善智識の教えに素直に従うことが大事だと思う。

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