すべてのものは移ろい変わる
「諸行無常」とは、仏教の言葉です。
仏教とは、約2600年前にインドで釈迦が説かれた教えです。「諸行」とは「全てのもの」、「無常」は「常がない、続かない」という意味です。
平家物語の冒頭は次のように始まります。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
意味は、祇園精舎の鐘の音には、諸行無常の響きがある。
学校の授業で習った人もいると思うので、知っている人は多いかもしれません。
「諸行無常」は、いつでも、どこでも変わらぬ真理です。この世の森羅万象は続きません。
人間関係も無常
学生時代、とても仲の良かった人がいたと思います。逆にこの人は大嫌いでもう二度と顔も見たくないという人もいたと思います。
どちらもクラスが替わったり卒業したりするれば、会うことも少なくなるでしょう。それぞれの進む道が違えば、また新しい人間関係が築かれていきます。
小学校から大人になるまでずっと仲良しでいられる関係は、ほとんどないといってもいいと思います。もしそんな人がいるならそれはとても貴重で大切にするべき人だといえます。
家族との関係も無常です。
自分が小さなころは、父親、母親の存在はとても大きく頼りにしています。しかし、小学生、中学生、高校生と成長するにつれ、両親の考えに反発するようになり、自立していきます。そして社会人になり家を出てしまうと、両親の存在は小さくなっていきます。
人間関係は続かない、変化の連続でできています。まさに無常であるといえます。
肉体も心も無常
「肉体」も常に変化の連続です。10代から20代にかけて筋肉量はピークを迎えるといいます。30代から40代、50代とどんどん筋肉量は減っていきます。
若いころには何でもなかった階段の上り下りも、40代、50代となると息があがるようになっていきます。
「心」も同じで変化していきます。
小学生のころに思い描いた将来の自分というのも、中学生、高校生、大学生を経てもずっと変らない人はいないでしょう。ほとんどの人が小学生のころ思い描いた大人になることはないと思います。
「肉体」も「心」も常に変わっていく。この事実は誰もが認める諸行無常なのではないでしょうか。
歎異抄
諸行無常の世の中で、絶対に崩れない幸せがあることが、「歎異抄」で明らかにされています。
その幸せを「摂取不捨の利益」といいます。
その幸せになることが、「人生で果たさなければならない目的」だと仏教では教えられます。その目的を果たすまで仏教を学び続けていきたいです。
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