独りで道をすすむとき

要約

奇跡のおばちゃん  →  引きこもりの生徒を二時間でなおす

人間は苦しみを一つ一つ克服しながら大人になっていくもの。しかし不登校や引きこもりの子供は、その苦労から逃げている。甘やかす親にも原因がある。だから私は戦わせるんです。逃げることに慣れたら、一生逃げ続けなきゃいけなくなりますから。  (奇跡のおばちゃん)

なぜ苦しみと戦って生きなければならないのか?   なぜ苦しい人生を生きなければならないか?

お釈迦さま  王様の子供 将来の期待を背負って育てられたが、独り城を出て山に入り修行の道をすすまれた  なぜか?

→  名声や財産や地位は老いと病と死の前では崩れ去るものばかり 老いと病と死がきても崩れない幸せを求め修行された

親鸞聖人  九歳~二十九歳まで比叡山で修行されたが独り下山された。老いと病と死がきても崩れない幸せが見つからなかったから

お釈迦さまと親鸞聖人は老いと病と死を越えた幸せを独り求めた

感想

人生のなかで独りで道をすすむときはある。僕自身は高校を中退したときに独りぼっちの道をすすむことになった。同級生たちは高校で青春を謳歌していたが、僕は孤独な生活をしていた。

人生詰んだように思っていた。が、今から振り返るとあのとき独りでいた経験はよかったと思える。別の高校に入って卒業はしたが、楽しい生活ではなかった。僕の回り道人生の始まりだったように思う。

お釈迦さまや親鸞聖人は独り道をすすまれたときは、人生回り道だと思われていたんじゃないかと思う。でもその回り道をしたことでしか得られなかったものがあった、それこそが老いと病と死がきても崩れない幸せだった。

人生で独り道をすすむときはチャンスだと思う。他の人がやらないことや、知らないことを知ることで成長できるしそれが個性となりその人が輝く財産になるからだ。

仏教を学ぶことも他の人が知らないことを知るチャンスだと思っている。

人生のなかで独りで道をすすむのも悪くない。

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