水をよく石を穿つ

要約

自力とは

世間一般の認識    →  自分の力

仏教では    自力 =  疑情

疑情とは       →  阿弥陀仏の本願を疑う心

阿弥陀仏の本願とは  →  どんな人をも必ず絶対の幸福にする

弥陀の本願      →  老少善悪の人を選ばず

至りて堅きは石なり、至りて軟なるは水なり、水をよく石を穿つ。「心源もし徹しなば、菩提の覚道何事か成ぜざらん」といえる古き詞あり。如何に不信なりとも、聴聞を心に入れて申さば、御慈悲にて候間、信を獲べきなり。只仏法は聴聞に極まることなり (蓮如上人)

感想

自力というと自分の力だと思っていたが、仏教では自力とは疑情のことだという。弥陀の本願を疑う心を捨てることはなかなかできることじゃない。仏法を聞けば聞くほど、弥陀の本願がとてつもなくすごいことであると知らされる。そんなこと本当にあるのか?と疑いの心がでてくる。

蓮如上人の言われる水をよく石を穿つという言葉の通り、疑いの心を持っていても聴聞を重ねることで、弥陀の本願まことだったという瞬間がやってくるという。

僕自身の心はまだまだ大きな石のかたまりがある。これに少しづつでも水のごとく聴聞を重ねていけば、やがて石に穴があくときがくるのかもしれない。

絶対の幸福までの道のりは、まだまだ遠い。

コメント

タイトルとURLをコピーしました