悪口はなくならない

要約

非難中傷を仏教では悪口(あっこう)という

三毒の煩悩

→  欲 怒り ねたみ そねみ

なぜ、人は中傷するのか?

→  欲  名誉欲を満たすため  利益欲を満たすため

→  怒り  バカにされたことを恨む

→  ねたみ  頭角をあらわす人は叩かれる 勝るをねたむ

煩悩はなくならないから悪口はなくならない 悪口を言う人の心に問題がある 悪口はスルーすればいい

ののしられたとき、ののしり返し、怒りには怒りで報い、打てば打ち返す。闘いを挑めば闘い返す。それらは与えたのを受けとったというのだ。しかしその反対に、何とも思わないものは、与えたといったも受けとったのではないのだ。

知恵ある者に怒りなし。よく吹く風荒くとも、心の中に波たたず。怒りには怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり  (お釈迦さま)

「この法をば信ずる衆生もあり、謗る衆生もあるべし」と、仏説きおかせたまいたることなれば、我はすでに信じたてまつる、また人ありて謗るにて、仏説まことなりけりと知られ候。  (親鸞聖人)

感想

非難中傷はなくならない。なぜなら人間には三毒の煩悩があり、悪口は三毒の煩悩からくるものだからだ。煩悩はなくすことができないから悪口もなくすことはできない。

悪口を言われるのは嫌だが、かといって自分が人の悪口を言わないかといったらそうではない。自分の気に入らないことがあると悪口を言ってしまう。煩悩によって苦しむことになる。自分がされて嫌なことを人にしてはいけないから、悪口は慎まなければならないと反省させられる。

お釈迦さまは悪口に対して何とも思わないようにすればいいと言われている。スルーすればいいと。怒りに怒りで返すのは愚か者だという。ついむきになって怒り返してしまうことが多いから気を付けなければならない。

仏教で教えらえる三毒の煩悩を知るとなぜ悪口をいってしまうかがわかった。しかも悪口はなくすことができないという事実も納得がいく。人間はいつの時代も煩悩によっての悩みは変わらないんだなと感じた。

仏教はいつの時代でもあてはまる教えであるから、尊い教えであると思う。

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