心が180度がらりと変わる

要約

廻心  心が180度がらりと変わる  ただ一度だけ

一向専修の人においては廻心ということただ一度あるべし  (歎異抄) 

噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく  (教行信証)

阿弥陀仏の本願  →  どんな人も必ず信楽に救う

一念の信心をえてのちの相続といふはさらに別のことにあらず、はじめ発起するところの安心を相続せられてたふとくなる一念のこころのとほるを「憶念の心つねに」とも「仏恩報謝」ともいふなり。いよいよ帰命の一念、発起すること肝要なりと仰せ候ふなり  (蓮如上人)

心がどのように変わるか?

→  無明の闇が一念で信楽になる

無明の闇  =  死んだ先が暗い心

信楽    =  摂取不捨の利益

感想

無明の闇が一念で信楽になるとは、死んだ先の暗い心が信楽の身になる、つまり極楽浄土いきが間違いない身になるということだ。死んだら浄土にいける身になれば、死んだ先は明るくなる。

阿弥陀仏の本願とはどんな人をも必ず浄土にいける身にするお約束ということだ。それは老いがきても病がきても死がきても崩れない幸せ。だから親鸞聖人は摂取不捨の利益といわれた。もう捨てられることのない幸せ、今日の言葉でいえば絶対の幸福という。

摂取不捨の利益になれれば心は180度変るという。死んだ先が暗闇から一気に明るくなるから180度変るというのはそういうことだろう。

どうしたら摂取不捨の利益になれるのかというと、聴聞を続けることだという。

これからも続けて聴聞をしていきたい。

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