人生の中で幸運と不運をわけるものとはいったいなんでしょうか。幸運も不運も自分ではコントロールできません。神様の気まぐれで決まるものなのか。
幸運も不運も人生における結果です。結果には必ず原因があります。それでは幸運と不運の原因とはなんでしょうか。原因なしに結果はあらわれません。
仏教には幸運か不運かを決める法則が教えられています。その法則を知れば自分の意思で幸運を引き寄せることができるし、不運を招かないように気をつけることができます。
今回は菊谷隆太さんの動画を通じて仏教の教えを学んでみたいと思います。
川上哲治
川上哲治氏といえば、日本のプロ野球界で多大な功績を残した人です。また、監督になってからも巨人の黄金時代を築いた人です。
その川上氏は幸運と不運について次のように考えていました。
私は練習が幸運を招くと信じていたから、どんなスランプのときでも頑張り続けることができたんです。一生懸命にやるとか努力するということは、よい結果を生み出す母体です。
川上氏は練習が原因で幸運という結果が生み出されると信じていた。論理的に誰にでも納得できるように説明はできないけれど練習が幸運や不運をもたらすもとになると信じていた。
この川上氏の考え方は仏教の教えに通じるものがあります。
仏教を説かれたお釈迦様は精進(努力)が原因となって果報(運命)が開かれると教えられました。運がいいとか運が悪いとかは精進(努力)が因となって起こる。
つまり私たちの行いが原因となってさまざまな運命が引き起こされるというのが仏教の教えです。
仏教で教えられる幸運をもたらす六つの行いを六度万行といいます。
布施(ふせ) →親切
持戒(じかい) →言行一致 約束を守る
忍辱(にんにく) →忍耐
精進(しょうじん)→努力
禅定(ぜんじょう)→反省
智慧(ちえ) →修養
この六つの行いは私たちを幸せにする行いです。
反対に次の六つの行いは私たちを不幸にする行いです。
慳貪(けんどん) →自分のことしか考えていない
破戒(はかい) →約束を破ること
瞋恚(しんい) →腹を立てること
懈怠(けたい) →怠けること
散乱(さんらん)→心が散り乱れて自分に目をむけないこと
愚痴(ぐち) →人を恨んだり妬んだりすること
因果の道理
因果の道理とは原因と結果の法則。
道理とは法則のことで、いつでも、どこでも変わらない真理のこと。
善因善果 善い行いをすればそれが原因となって幸せな運命がやってくる。
悪因悪果 悪い行いをすればそれが原因となって不幸な運命がやってくる。
自因自果 善いのも悪いのも自分の受ける一切の運命は自分の行いが原因。
東岸西岸の柳
平安時代に作られた「和漢朗詠集」という本がある。
この本の背景には仏教思想が含まれています。
東岸西岸の柳 遅速同じからず
南枝北枝の梅 開落已に異なり
東岸、西岸に柳がある。東岸の柳は早く芽を出す。西岸の柳は遅く芽を出す。
なぜなら、春は東の方からやってくるから。
また、南方は暖かいので南側の枝は早く咲き、北側の枝は遅く咲く。
いずれにしても、時期に差こそあれ必ず咲く。これは仏教思想の考え方です。
因縁果の道理
因果の道理は正確に言うと、因縁果の道理といいます。
先ほどの「和漢朗詠集」でいうと、因とは植物の中にあるエネルギー。その因が春という縁にあったとき花が咲くという結果になります。
縁に結びつくのに早いか遅いかで咲く時期が決まります。
仏教では行いに力があると教えられます。これを業力といいます。業力がさまざまな環境(縁)にあったとき運命(結果)が引き起こる。
環境(縁)にあうのに早いか遅いかで運命が決まります。
「和漢朗詠集」ではこの仏教思想が用いられています。
感想
幸運か不運かを決めるのは自分の行いにかかっているという。自分が善い行いをすれば善い運命になり、悪いことをすれば悪い運命になる。仏教の教えはとても分かりやすく明快で納得のいく教えです。
しかし、自分に不幸な運命がやってきたときに、自分の行いが悪かったと認めることは難しい。つい人のせいにしてしまいます。あいつが悪くて自分は悪くないと言い訳しがちです。
それでも仏教の因果の道理を知っているだけで人生はずいぶんよくなると思います。普段から善いことをしようと心がけるし、悪いことは極力しないように努められる。
仏教の教えは人生を生きる上でとても役に立ち、支えになる教えだと思います。
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