いつどうなるか分からない世界に生きている

要約

火宅無常の世界は、万の事皆もって、空事・たわごと真実あることなきにただ念仏のみぞ真実にて在します  (親鸞聖人) 

念仏  =  阿弥陀仏の本願

親鸞聖人 幼少期 松若丸  四歳で父を亡くす 八歳で母を亡くす

お釈迦さま 仏の悟りをえる前 シッダルタ太子  老い、病、死が来ても崩れない幸せが知りたいと城を出られる  →  出城入山   三十五歳 仏の悟りをひらかれる

感想

火宅無常の世界とは、いつどうなるか分からない世界。そんな世界ですべての人は生きている。そのなかで本当に信じられるものはあるのか? すべてのものは壊れ、なくなってしまう。震災があるたびにそう思わざるをえない。

仏教を教えられたお釈迦さまは、老いがきても、病がきても、死がきても崩れない幸せはないかと修行の道を選ばれた。そして三十五歳で仏の悟りをひらかれた。それが阿弥陀仏の本願だという。

老いがきても、病がきても、死がきても崩れない幸せとは、極楽浄土いき間違いない身になることだという。たしかに極楽浄土いきが間違いなければ、死がきても崩れない絶対の幸福といえるかもしれない。

いつ震災がおこるかわかならい。いつ死ぬかわからない。だからこそ早く絶対の幸福にならなければならない、と思う。すべてのものが壊れなくなってしまうこの世界で、ただ念仏だけ真実だと言われた親鸞聖人の思いがなんとなく分かった気がした。

それじゃ、どうすれば絶対の幸福の身になれるのか?

仏法は聴聞に極まるといわれる。

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