要約
親鸞聖人
→ 堕落坊主 破戒坊主
→ 日本で初めて公に肉食妻帯した僧侶
→ 世間中から非難された
僧侶でありながら肉食妻帯したから非難を浴びた
親鸞聖人はご自分のことを非僧非俗といわれている
肉食妻帯されたのはなぜか?
→ 阿弥陀仏の本願をあきらかにするためだった
阿弥陀仏の本願とは阿弥陀仏のお約束のこと 約束とは?
→ すべての人をありのままの姿で必ず救う
お釈迦さまは阿弥陀仏の本願ただ一つをあきらかにするためにこの世にあらわれたかただった。
親鸞聖人は肉食妻帯するような煩悩まみれの人たちを、そのまま救うのが阿弥陀仏の本願だと身をもってあきらかにされた。阿弥陀仏の本願だけ説くために生涯をかけられた。
感想
親鸞聖人は世間中から非難を浴びるとわかっていながら、肉食妻帯をされた。なぜなら、阿弥陀仏の本願とは肉食妻帯するような人たちでも必ず救うお約束であることを証明するためだったという。
誰だって非難を浴びるとわかっていたらその行動はしないものだ。非難されるとわかっていながら自分の行動を貫くことは、普通の人ならできない。僕自身は自分を貫くよりも、角がたたないような行動をしてしまうし、世間中から非難中傷されたら生きていられないかもしれない。
阿弥陀仏の本願とはすべての人を必ず信楽の身にしてみせる、というお約束だ。老少善悪は関係ない。それは親鸞聖人が生涯徹底して説かれたから、今日まで伝わることができた。もし親鸞聖人が世間中から非難されたとき、説かれるのをやめていたら現代で教えをきくことはなかった。親鸞聖人の偉大さがよくわかった。
現代で阿弥陀仏の本願を知ることができたことは奇跡のように有難いことだ。
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