要約
人のことを「あいつ」呼ばわりをする 相手を見下す評価をする
六大煩悩の一つ 慢
→ 人の欠点だけを見つける
相手に対して敬意がないと敬われない 相手を軽んじる人は軽んじられる
因果応報
→ まいた種は必ず生える
親鸞は弟子一人ももたずそうろう (歎異抄)
→ 実際には親鸞聖人を師匠とあがめる人たちはいた
なぜ親鸞聖人は弟子一人もいないといったのか?
→ 親鸞聖人自身は人々を導いてやったという意識はない 深い仏縁によって集まってきた人たち 俺の力だとか俺の人徳だとか俺の才覚によって集まってきたとは考えておられない
→ すべては如来のご加護である 仏法の教えのお徳によって集まってきたという意識でおられた
御同行 御同朋
→ 同じ道を行く人 同じ兄弟友達
感想
人のことを「あいつ」呼ばわりするときは、相手を見下しているとき。そんな人は相手からも軽んじられることになる。
仏教の六大煩悩の一つに慢がある。人の欠点を見つけて、自分の方が上だと思ってしまう。僕自身も人の欠点を見つけて優越感にひたってしまうことがある。改めて煩悩いっぱいだと実感する。
僕自身は認めてほしいという名誉欲で満ち満ちている。それが向上心となり、もっと頑張ろうという気持ちが起きてくる。が、それと同時に相手を見下す心も大きくなってしまう。だから人から軽んじられることになる。慢という心をなくすことができない。
親鸞聖人は弟子一人ももたずそうろう、といわれた。集まってき人たちは、すべては仏法の教えのお徳であるからだという。そう思うことはなかなかできないと思う。親鸞聖人の人間性が優れていたといえると思う。
煩悩があるかぎり、悪い種ばかりをまいてしまうことになる。
その事実を受け入れるのに時間がいる。
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