書籍
落合博満
1953年生まれ。秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、中日ドラゴンズ元監督。中日ドラゴンズ元GM。
1979年ドラフト3位でロッテ入団。81年打率.326で首位打者になり、以降83年まで3年連続首位打者。82年史上最年少28歳で三冠王を獲得、85年には打率.367、52本塁打、146打点とう驚異的な成績で2度目の三冠王とパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝いた。86年には史上初の3度目、2年連続の三冠王を獲得。通算成績は2236試合、7627打数2371安打、510本塁打、1564打点、65盗塁、打率.311。1998年現役を引退。その後、野球解説者、指導者として活動し、2004年より中日ドラゴンズ監督に就任。就任1年目から1年間の解雇・トレード凍結、一、二軍を振り分けない春季キャンプなどを行い、チームはいきなりリーグ優勝。2007年にはチームを53年ぶりの日本一に導く。就任から8年間、2年に1回以上はリーグ優勝ないしは日本一、Aクラス入りを逃したこともない。2011年は球団史上初の2年連続リーグ優勝を果たし、「常勝チーム」を作りあげた。2013年には同球団にGM職として就任し、2017年1月退任。
はじめに 自分の頭で考えながら成長する
落合博満の選手、監督としての成績は素晴らしいものがあります。選手としては20年間(1979年~1998年)の現役生活で首位打者5回、本塁打王5回、打点王5回を獲得。史上最多となる三度の3冠王に輝いています。
通算成績は2236試合、2371安打、510本塁打、1564打点で通算打率も.311と、まさに「史上最高の右打者」にふさわしい成績を残しています。
また監督としても8年間(2004年~2011年)の在任期間中、すべてAクラス入りを果たし、四度のリーグ優勝と一度の日本一を達成しています。まさに「名選手にして名監督」ですが、その野球人生は順風満帆ではありませんでした——
本書は落合博満さんが野球人生で何を考え、何を実行したか、がわかる本になっています。史上最高の右打者であり、名監督として知られていますが、いったいどんな思考を持っていたのか気になる人は多いと思います。
この本の中で僕が心に響いたところを3つ紹介します。
責任はすべて自分にあると言い切る 責任転嫁してしまう人には、組織のトップ=監督は務まらない
落合博満は中日の監督時代、「勝てば選手のおかげ。負ければ監督の責任」と言い続けています。
(中略)その選手を起用したのも監督なら、その選手をきちんと指導していなかったのも監督やコーチの責任と考えます。上に立つ人間は、決して他に責任転嫁をしてはいけないのです。
勝てば選手のおかげでも、負ければ監督の責任と考える人はほとんどいないだろう。負けが監督の責任なら勝ったときも監督のおかげ、と考えるのが一般的だと思うがそこが落合さんの異質なところだ。
また、常に負ければ監督の責任だという覚悟だからこそ、選手の指導も徹底的に行っていたのだと思う。責任の所在が自分にあることで、いいかげんなことはできない、というプレッシャーがかかりそれが勝ちにつながったのだと思う。
できない人の気持ちを理解する (監督としての成功は)選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったこともあるから
落合は長嶋茂雄のような野球エリートではありません。高校は入退部を繰り返し、大学も中退。プロ入りも25歳と遅い入団です。2年間は一軍と二軍を行ったり来たりと、下積みを経験しています。それだけに落合は「できない人の気持ち」がよくわかります。同時にトップも経験し、「できる人の思い」も理解できる。あらゆる選手の気持ちがわかり、それが采配に活かされた、というのが落合の見方です。
できる人はできない人の気持ちがわからない、ということが往々にしてあると思う。しかし、落合さんはできる人、できない人、両方の気持ちがわかっていたという。そういう人はなかなかいない。
「自分がこれでうまくいったから、お前もこうしろ」と名選手だった監督にこういわれたら、できな人は困ってしまうだろう。できる人と同じやり方ではできないのだから。
できない人の気持ちにも寄り添える監督というのは、できない人にとってはとても心強い存在だったと思う。
挑戦者の足を引っ張るな 誰かが何かを始めようとする時、なぜ粗探しをするような見方しかできないのだろう。しかも自分の目で見て確かめようともせずに
誰かが新しいことをやろうとすると、「どうせできっこない」「そんなの無理だ」と否定的な言葉で批判する人がいます。大谷翔平が日本ハムに入団するにあたって、「二刀流」への挑戦を口にしたとき、プロ野球関係者のほとんどが批判し、なかには「野球をなめている」とまで言う人もいました。そんななか、落合博満は「やりたいんだったらやればいいじゃん。両方センスがあって、どっちか1個に選ばなくたって、両方できるんだったら両方した方がいいんじゃないのかな」と肯定的な発言をしました。
(中略)新しい挑戦に批判はつきものですが、大切なのは粗探しではなく、実際に見て、判断することなのです。
大谷翔平選手の「二刀流」は今や当たり前になったが、「二刀流」が始まった当初は批判が集まったという。しかし、落合さんは批判しなかった。そこが並みの監督とは違うところだ。
落合さん自身も新しいことを始めたときに批判が集まったことがあった。そういう経験が人としての器を広げ、挑戦する人に寛容な姿勢をみせることができる。
落合さんが名監督なれたのは、このようなエピソードからも窺える。

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