贅沢を尽くしても、よい暮らしをしているとはいえない人がいる一方で、普通の暮しをしながら豊な人生を歩む人もいます。その差は、その人の持つ生活感の質と量によって決まるものと思います。 老齢に至った私は、日々の暮しや人様とのご縁によって身につけてきた生活感を、さまざまな機会に言葉や文字で表して参りました。

本書の著者 鍵山秀三郎 昭和8年、東京生まれ。昭和27年、疎開先の岐阜県立東農高校を卒業。昭和28年、デトロイト商会入社。昭和36年、ローヤルを創業し社長に就任。平成9年、社名をイエローハットに変更。平成10年、同社取締役相談役となる。創業以来続けている「掃除」に多くの人が共鳴し、近年は掃除運動が内外に広がっている。
私がいままで歩んできた人生をひと言で表現すると、「凡事徹底」、つまり「誰にでもできる平凡なことを、誰にでもできないくらい徹底して続けてきた」ということに尽きます。この言葉はとても重い言葉だと思った。平凡なことはバカにしがちで、つい手を抜いたり、やらなくてもいいかと思いやらなくなる。ところが平凡なことを誰にでもできないくらい徹底してやることでそれが非凡になる。その非凡なことが人を感動させることができるという。簡単なようでとも難しいことだ。続けることは難しい。しかし徹底して続けることで素晴らしいものになることがわかる言葉だ。
人の心は、そう簡単に磨けるものではありません。ましてや、心を取り出して磨くなどということはできません。心を磨くには、とりあえず、目の前に見てるものを磨き、きれいにする。とくに、人のいやがるトイレ掃除を永年続けていると、知らず知らずのうちに自分の心も浄化され磨かれるようになります。僕自身も自宅のトイレ掃除をするようにしているが、少しは心が磨かれているのだろうか。あまり実感することはないが、この言葉を聞くととても励まされる気持ちになる。仏教でも掃除をすることは勧められている。お釈迦さまの高弟にシュリハンドクという人がいたが、シュリハンドクは修行で掃除三昧を20年間続けることで阿羅漢のさとりが開けたという。

「終身路を譲るも、百歩を枉げず」(新唐書)生涯、人に路を譲っても、百歩の距離を迂回するわけではない。それほどわずかなことだから、こちらから譲るべきであるという訓え。我を張り、人から物を奪うような生き方をしている人は信用を失うばかりでなく必ず晩節を汚すことになるという。人から奪う人は必ず恨まれるし、いつかは自分も誰かに奪われることになるだろう。仏教にも「花を持つ 人から避ける 山路かな」という言葉がある。一人しか通れない狭い山道で二人が鉢合わせになった。一人は何も持っていないがもう一人は両手いっぱいのきれいな花を抱えている。こんなとき「お先にどうぞ」と道を譲ることができるのは両手いっぱいの花を抱えている人。もしぶつかりあったら大事な花が散ってしまう。だから花を守るために道を譲ることができる。相手に譲ることの大切さを教えられたエピソードだ。
本書には、他にも人生に役立つ金言がたくさん紹介されている。自分を磨きたいと思ったらぜひ読んでみることをオススメする。
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