運 「ツキ」と「流れ」を呼び込む技術

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理をもって戦う。それが私の根本的な考え方だ。理にかなわないことは、けっしてしない。私の勝負哲学の基本は、常にそこにある。したがって、「たまたま運よく勝った」「なぜかツキが味方して、うまくいった」というようなことは、プロとして喜ばしいとは思わない。そんなものマグレであり、何の根拠もない。何事にも根拠というものがあるのだから、プロとして理にかなうプロセスを経てこそ、勝利という結果を得ることができるのだ。しかしである。長年、勝負の世界で生きていると、理論的には説明がつかない勝敗結果に出くわすことがある。勝負には、ときどきセオリーでは考えにくい現象が起こるのもまた事実だ。そういうとき、私はよくこういう表現をしてきた。「負けに不思議の負けなし。勝ちに不思議の勝ちあり」 相手の致命的なミスのおかげで勝利が転がりこんできたり、なぜか相手にアンラッキーなことが起きたりして勝ってしまう。その反対に、負けるときというのは、必ず敗因があって、負けるべくして負けている。つまり、負けは理論的な説明ができるけれど、勝ちには理にかなわないこともある。いったい、なぜ、そいういうことが起こるのか? なぜ運よく勝つことができたのか。なぜツキが味方して、いい結果になることがあるのか。おまけに、そいういう現象というのは、ある特定の人にしばしば起こることがある。

本書の著者 野村克也 1935年京都府生まれ。野球解説者。京都府立峰山高校卒業後、54年にテスト生として南海ホークスに捕手として入団。戦後初の三冠王、歴代2位の通算657本塁打など多くの記録を樹立。70年に南海でプレイング・マネージャーに就任以降、ヤクルト、阪神、楽天等で監督を歴任する。

一生懸命にがんばっていれば、かならず、だれかがそれを見てくれている。私の野球人生は、いつもそう思わされることの連続だった。野球にかぎらず、どんな道でも、その人を導いてくれる人がいる。どんな道であっても、成功するには努力と実力がなければ辿り着けないが、そのチャンスを与えてくれる人がいたからこそ成功することができる。そういう人との巡り合いこそが運と呼ばれるものなのではないか。人との出会いが運だというのはとてもよくわかる。僕自身も出会いによってその後の人生が大きく変わったということが何度もある。あの日、あの時、あの場所でなぜ出会うことができたのだろう。不思議でならないということは誰にでもあると思う。仏教では因と縁が揃ったときに結果(運命)になると教えられる。一生懸命がんばっていれば、必ず縁がきたときによい運命になる。「あれを見よ みやまの桜 咲にけり 真心つくせ 人しらずとも」という歌があるが、人が見ている見ていないにかかわらず、何事も真心尽くせば、必ず素晴らしい幸せの花が開くといわれる。

あのとき私は「根拠のあるヤマ張りは読みになる」ということをずっとテーマにして考えていた。だからこそ「テッド・ウィリアムスの打撃論」という運をつかむことができたのではないか。もし「根拠のある予測」などということを何も考えない日々を送っていたら、その運には気づかないまま終わってかもしれない。考えること。気づくこと。感じること。それが運につながるのだ。私はいま、改めてそう思っている。普段生活していて、うまくいかないことがあると、どうしたら解決できるかを考えることがある。そんなとき、それを解決してくれる本との出会うという経験が何度もある。よい本との出会いは運のよさを感じることができる。しかし、それは普段から考えているからこその出会いであり、ぼーっとしていたら本に気づくことすらない。

私も大好きな野球をやっているときが人生でもっとも幸せな時間だった。だからこそ、勝っても負けても、うまくいってもいかなくても、野球は楽しい。その思いを失いさえしなければ、いつか必ず努力は報われる。きっと運は向いてくる。どうすれば、この仕事は楽しくなるか。それがわかれば「どうすれば、この仕事はうまくいくか」が見えてくる。それは「正しいプロセスとは何か」に気づくことだ。それに気づけば、必ずチャンスがやってくる。それこそが運の正体なのではないか。どうすればこの仕事が楽しくなるか。それがわかればどうすればこの仕事はうまくいくかが見えてくるという。この言葉はとても深いと感じさせられる。仕事を楽しむためには工夫がいるが、楽しめることができればいつかは努力が報われる。仕事をするうえで覚えておきたい考え方だと思った。

本書は、野村克也さんの野球人生で起きた「ツキ」や「流れ」について詳しく書かれている。厳しい勝負の世界において「運」を呼び込むにはどうすればいいか。それは野球以外の世界にも活かせる実践哲学となっている。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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