要約
方便とは
→ 真実に近づけ納得させるのに必要不可欠な教え
→ 真実と方便は一対
→ 真実から流出したのが方便
→ 仏がなんとか真実をわからせたいというところから方便が出てくる
→ 真実に無関係な方便はない
→ 方便に無関係な真実はない
従仮入真 仮より真に入る
仮 = 方便
真 = 真実
阿弥陀仏やお釈迦さまの心
→ 真実の世界まで出させてやりたい
他力信心 無碍の一道 絶対の幸福 凡夫直入の信心
蓮如上人仰せられ候、「方便を悪しということは有る間敷なり。方便を以て真実を顕わす廃立の義、よくよく知るべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をば獲ることなる」由、仰せられ候と云々
弥陀の善巧方便 第十九願(修諸功徳)
釈迦 八万四千の法門(一切経)
八万四千の法門は、みな是れ浄土の方便の善なり。これを「要門」という、これを「仮門」と名けたり (親鸞聖人)
感想
方便と聞くと、嘘も方便、という言葉を思い出すが仏教で教えられる方便とは、真実に近づけるための教えだという。真実だけを教えてもわからないからまず方便から教えるということだ。
僕自身、いきなり他力信心や無碍の一道、絶対の幸福があるといわれてもわからない。そんな世界本当にあるのかと疑ってしまうし、仏法をきくのを止めていたかもしれない。因果の道理や、六度万行、三世、三毒の煩悩、などの教えを知ったから絶対の幸福という世界もあるのかもしれないという気持ちに変化していった。これらは方便の教えだという。
お釈迦さまはどうすれば真実が伝わるのかを見抜いていた。まず善巧方便から教えなければならない。真実はそのあとに伝える。方便と真実が一対であることに納得する。
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