愛されたいの思いに飲まれるな

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愛によって苦しむ

・ 愛とは今日、私たちを幸せにする高尚な言葉として使われることが多い。「愛は地球を救う」「最後に愛は勝つ」「愛が全て」

・ 愛というのは常に歌のテーマやドラマのテーマになることが多い。愛は人生で一番大事だという人もいる。

・ 仏教では愛といった場合、執着という意味がある。執着とは煩悩になります。煩悩とは私たちを苦しませるもの、煩わせ、悩ませるものです。だから愛とは煩悩にあたります。

・ 親鸞聖人も愛によって苦しんでいると告白されています。

悲しきかなや愚禿鸞 愛欲の広海に沈没し

・ なんと情けないことだな、この親鸞は愛欲が広い海ほどあって沈みきっている。

・ 親鸞聖人は生涯、この愛欲によって苦しい思いをしたといっています。

・ 仏教では愛という言葉が使われて様々な苦しみを説かれています。

◇ 愛憎……愛とは憎しみに転じやすい。こんなに私はあなたを愛しているのに、なぜあなたは私に対してそんなことしか思ってくれないのか、と相手が憎くなることがある。愛しているからこそ、怒りや憎しみに変わることがある。そんなに相手を愛していなかったら気にならないが、ぞっこん惚れ込でいた場合相手から心無いことを言われると腹が立ち憎くなる。憎しみというのは愛情の裏返し。可愛さ余って憎さ100倍という言葉がある。

◇ 渇愛……人間の欲や愛というのは、なければないで欲しいと思い、あればあったでもっと欲しいと思う。どこどこまでも執着する。手に入れたら満足ではなく、もっともっと欲しいと際限がない。

◇ 愛別離苦……愛する人と別れる苦しみ。会者定離といい、出会った人は必ずいつかは別れなければならない。親、親友、夫婦、親子、いつかは別れていかなければならない。嫌いな人だったら別れてせいせいするが、大好きな人だった場合その別れが辛くてしょうがない。

異性だけではない

・ 愛というのは自分の好きな恋人や夫婦だけではない。親が子供に対するのも愛といえます。自分の子供は可愛い他の子はそうじゃない。自分の子供に対する執着といえます。

愛憎違順することは 高峯岳山に異ならず

・ 親鸞聖人がご自分のことを告白されたお言葉。

・ 自分に順うものは愛する、自分に違うものは憎む。つまり、自分の都合のいい人は好きだけれども、自分の都合の悪い人は嫌いになる。それが、山と谷がくっきりしている渓谷のようにある。

・ 愛とは会社では自分の部下に対してや、学校の教師なら生徒に対してなどある。人だけでなく、お金、地位、ポスト、土地、株、容姿、健康、これらすべてに愛(執着)しているといえる。

・ ところがこれらのものは、老い、病、死によってすべて失われてしまう。

・ 仏教では諸行無常と説かれています。すべてのものは続かない。

慈悲とは何か

・ お経の中にこうあります。

仏心とは大慈悲これなり

・ 仏の心というのは慈悲心である。仏とは仏の悟りを開かれた方。

・ 慈悲とは抜苦与楽の心のことです。

苦を抜くを慈といい 楽を与うるのを悲という

・ 人間の慈悲は智慧のない慈悲なので小慈悲といい、仏の慈悲は智慧がある慈悲なので大慈悲といいます。

・ 仏教とは慈悲の教えです。仏法を聞く目的は苦しみを抜き去り、本当の幸せになるためです。

感想

仏教では愛とは執着である、つまり煩悩であると教えられている。煩悩は煩わせ悩ませるもの。愛することは苦しみを生むことになる。

しかし、人生のなかで愛することは日々が潤い、明るく楽しくなるのも事実だと思う。愛のない人生は暗く、辛い毎日になるのではないだろうか。愛が生きるエネルギーとなり、人生を変えることもできる。

僕自身、恋愛をしたことで自分が成長できたことがある。人との付き合いかたや、相手を思いやる行動、嫉妬心がおきることも学んだ。楽しいことや苦しいこと、嬉しいことも悲しかったことも恋愛のなかでしか経験できないことがある。愛することはとても学びになる。

仏教では愛と慈悲が明確にわけられている。慈悲の心とは抜苦与楽のことを意味する。また人間の慈悲と仏の慈悲も明確にわけられている。仏法を聞く目的は本当の幸せになるため。それは老いがきても病がきても死がきても崩れない幸せのことをいう。その身になるためにこれからも仏教を聞き続けていきたい。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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