要約
■ ドラえもん
・ 漫画「ドラえもん」のなかには哲学的なテーマの話がある。孤独ということをテーマに考えたときに、「ドラえもん」のなかにそういう話がある。「見栄っぱりプロフィール」という話。
▼ 「見栄っぱりプロフィール」 のび太のクラスに早乙女聖子という女の子が転校してきた。のび太は転校生のことを好きになる。クラスで自己紹介をするために、自己紹介プロフィールというものを作ることになった。転校生とクラスメイト全員が交換する。のび太は転校生に好きになってもらいたくて、はりきって自己紹介プロフィールを書こうとした。しかし、自分のプロフィールに好きになってもらえるような特技が見当たらず困ってしまう。そこでのび太はドラえもんに自分の特技を聞いてみたが、「いつでも昼寝ができるところ」「いつも0点をとってもめげないところ」といいとても転校生に好きになってもらえいないと落胆した。そうしたらドラえもんが「見栄っぱりプロフィール」という道具を出してくれた。そのプロフィールに書くと、たとえそれが嘘であってもみんな信用してくれるというものだった。のび太は「見栄っぱりプロフィール」に、頭がいい、かけっこが速い、喧嘩は今まで一度も負けたことがないと書いた。クラスで「見栄っぱりプロフィール」を見せたところ、のび太はたちまち人気者になった。ところが当然それは噓だったので、のび太は勉強を教えて欲しいと頼まれるができないので、適当に断った。それに喧嘩最強を誇るジャイアンがのび太に喧嘩を申し込んできた。これもジャイアンには勝てないのでドラえもんに助けを求めた。ドラえもんのおかげで、ジャイアンに勝つことができたので、転校生に喧嘩自慢をしたら転校生は喧嘩が強い人は嫌いだといった。のび太はショックを受けた。「見栄っぱりプロフィール」でクラスのみんなから得ていた信頼を裏切ることに悩むことになった。のび太は「見栄っぱりプロフィール」を破り捨てた。嘘で得ていた信頼はなくなって元ののび太に戻った。のび太は放課後一人であやとりをしていた。そこへ転校生がやってきて実はあやとりが好きだといった。のび太は転校生とあやとりをして仲良くなった。ところが転校生はまた別の学校へ転校していった。
・ 「見栄っぱりプロフィール」を使って転校生と仲良くなってものび太は心から喜べただろうか。どこか孤独感を感じただろうし、不安を感じただろう。余計苦しくなったかもしれない。
・ 背伸びして自分じゃない自分をアピールして人から素晴らしい人だと賞賛を得ても、好きだといわれても心から安心できない。なぜなら、自分の素の姿をさらけ出したら呆れてみんな逃げてしまうから。
◇ 私たちは自分のそのままの姿をだして、そんなあなたが好きですという人がいたら心から幸せになれる。

■ ガッカリランキング
・ インターネットの時代の中で、ネット上で私はこんなリア充生活をおくっていると写真でアピールする人が増えている。インターネットの友達と実際に会ったみてガッカリしたことランキングというのがある。
第一位 顔にがっかり
・ ゲーム友達と実際に顔を合わせて会ってみると、なんだこんな顔だったのかとがっかりする。プロフィールにある写真で顔を見ていたけど実物とは相当違う。修正した写真や、綺麗にみせる写真は今の時代とても簡単にできる。
第二位 職業や年齢が嘘だった
・ 会ってみたらおばさんだった。無職なのに会社経営していますとプロフィールに書いていた。どうせバレる嘘ならプロフィールに書かなくてもいいのに、インターネットの世界だけでも尊敬されたいのか書く人が多い。実際会ってしまったら化けの皮が剥がれてしまうのに。
第三位 ネット上のキャラと実際のキャラが違う
・ ネット上では面白い人のように思ったのに、実際に会ってみたらガサツで自分勝手な人だった。また、チャットでは知的な感じがしたのに、会ってみたら退屈なおじさんだったとか。ネット上のキャラは背伸びしてかっこよくみせていたが実際に会ってみるとがっかりする。
◇ まさに「見栄っぱりプロフィール」で幸せになれなかったのび太のように、インターネットの中だけは付き合えるけどオフ会では会えない。こういう人もいる。
■ ペルソナ
・ 私たちは自分の本当の姿はみせられないので、身も飾る、心も飾る、ことをしている。
心口各異 言念無実 (お釈迦さま)
・ 心で思っていることと、口でいうことは違う。言っていること思っていることにまことがない。噓偽りばかり。
・ ペルソナ(仮面)というラテン語がパーソン(人間)という言葉になった。私たちはたくさんの仮面を使い分けている。本当は自分のそのままの姿を全部さらけだして人と接したいが、それはできない。
◇ 仏教ではみんなの心の底に蔵があると教えられる。その蔵に、他人に言えないこと、自分の知って欲しくないこと、醜い心や弱い心を隠している。蔵にはカギがしてあり誰にも見せられないようになっている。親でも子でも夫でも妻でも、どんなに親しい友人にも見せられない心を、すべての人は抱えていると仏教では教えられている。これを蔵の心という。
・ そんな孤独な魂を抱えているから私たちは孤独である。仏教では孤独地獄という。誰にも分かってもらえない心を抱えて生きている。
・ 独生独死 独去独来
・ 一人で生まれ一人で死ぬ。一人で来て一人で去る。
・ どんな人と出会ってもペルソナという仮面をつけて自分を見せないようにしている。
・ そんな私たちが救われるには、自分の誰にもいえない誰にも打ち明けることのできない心の蔵のすべてのカギを開けてしまって、全部理解したうえで、「そんなお前が好きだ」という存在に出会ったときに救われる。
★ 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば ひとえに親鸞一人が為なりけり (親鸞聖人)

感想
人によく思われたいという気持ちは誰でもあるが、嘘で自分をアピールしてしまえば最初はいいかもしれない。しかしその嘘がバレてしまったときの気まずさは大きい。相手にがっかりされてしまうと悲しくなってしまう。
僕自身は人と接するとき、自分のいい部分の魅力は徐々に伝わっていけばいいと思っている。最初からいい部分をアピールすることはあまりない。それはスルメのように噛めば噛むほど味が出るような人間になりたいからだ。会う回数が増えるごとにいい人だといわれるような人間になりたい。
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