はじめに
宮崎駿が監督したスタジオジブリ作品(劇場長編アニメーション作品)は11作品あります。制作順に「風の谷のナウシカ」(1984年)、「天空の城ラピュタ」(1986年)、「となりのトトロ」(1988年)、「魔女の宅急便」(1989年)、「紅の豚」(1992年)、「もののけ姫」(1997年)、「千と千尋の神隠し」(2001年)、「ハウルの動く城」(2004年)、「崖の上のポニョ」(2008年)、「風立ちぬ」(2013年)、「君たちはどう生きるか」(2023年)となります。 1本も観たことがないという人はほとんどいないのではないかと思えるほど、宮崎駿の作品は、劇場はもちろん、テレビやDVDなどでも広く観られています。どんな名作でも、年月が経ち、時代が変わるにつれて観られなくなるものですが、宮崎駿の作品はテレビで繰り返し放送されても、そのたびに高い視聴率を記録します。それだけ多くの人に愛される作品だということでしょう。 その圧倒的な支持の背景にあるのは、宮崎が作品づくりでた大切にしている子どもたちへの「生まれてきてよかったね」というメッセージなのではないでしょうか。

本書の著者 宮崎駿 1941年生まれ。東京都出身。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画に入社。高畑勲とともにTVアニメに携わる。78年、NHKで最初の全編オリジナル国産アニメ『未来少年コナン』で演出家デビュー。79年に映画『ルパン三世 カリオストロの城』で初の監督を務める。84年の『風の谷のナウシカ』が国民的大ヒット作となり、アニメ映画製作所「スタジオジブリ」の設立に参加。以降、ヒット作を連発。2012年、文化功労者に選ばれた。
自分がトップとして納得の映画をつくろうと思えば、机を並べて仕事をする仲間にも厳しいことを言わなければなりません。アニメーターの絵に対しても、意図が違えば、はっきりと「ノー」を言わなければならないでしょう。いわば、嫌われ者になり、孤独に耐える覚悟が必要になります。宮崎駿の映画の裏には、とても大変で苦しいことがあることを知らなかった。確かにあれほど素晴らしい作品なのだから、宮崎駿の映画作りには妥協を許さない完璧なところがあるかもしれない。誰でも嫌われ者になるのは嫌だが、それでもいい映画を作るために嫌われることを恐れなかった宮崎駿のすごさを感じた。
宮崎が「風の谷のナウシカ」を制作することができたのは、のちにスタジオジブリの社長となる鈴木敏夫との出会いがあったからでした。しかし、資金面で困窮しなかったのは、徳間書店の創業者・徳間康快の理解と支援があったからでしょう。(中略)宮崎は成功には「才能と努力と幸運」が必要と語っていますが、徳間との出会いという幸運がなければ、その後の成功はなかったかもしれません。才能と努力は自分の力でなんとかなるが、誰が支援してくれるかはわからない。宮崎駿は縁に恵まれたわけだが、運の強さも持っていた。運とは何か。仏教では善因善果、悪因悪果、自因自果と教えられる。善い運命にしたければ善い行いをしなければならない。才能や努力はしていても悪縁によって自分の運命が悪くなる人もいる。宮崎駿の成功の裏には、人知れず善い行いをしていからだといえるだろう。
映画を制作する以上、興行収入や評価はもちろん重要ですし、最も気になるところでしょう。しかし、宮崎にとっては、それ以上に「人に喜んでもらうこと」が一番大きなモチベーションになっているのです。映画制作に限らず、あらゆることには表側からは窺い知れないようなさまざまな苦労があるものです。しかし、そんな苦労も、人が喜ぶ姿を見ることで報われます。人は誰かの笑顔や「ありがとう」のために仕事をしているのです。宮崎駿がお金のために映画を作っているのではなく、「人に喜んでもらうこと」が一番のモチベーションになっているから大ヒット映画が生まれていた。まさに利他の心といっていいと思う。仏教では自利利他といい、他人を幸せにすることが自分の幸せになると教えられている。宮崎駿の映画作りに対する情熱が、多くの人の心に喜びを与えているから唯一無二の存在になっている。

本書では、宮崎駿の知られざる映画制作に対する哲学を知ることができる。メディアではあまり語られることのない宮崎駿の言葉やエピソードが書かれていて、とても新鮮な気持ちになることだろう。
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