要約
一般的な幸せ
→ お金 名声 地位 健康 妻(夫) 子供 友達 才能
これらは老い病や死の前で崩れてしまう幸せ 相対の幸福という
老いとの闘いは水平線に向って泳いでいるようなもの
→ 老いてなお、生き続けるのは何のためか?
老いと病と死にに向って進む人生において、老いと病と死を超える救助の大船がある。それがブッダの教え
難度海を度する大船 (親鸞聖人)
死んだら苦しみから解放されるのか?
→ お釈迦さまは死とは苦しいものと説かれる
老、病、死を超えた幸せ
→ 信楽という
信楽の身には平生の一念でなることができる
感想
人生は老い、病、死に向って生きている。死の前では、生きている間に支えられていたものすべてに裏切られてしまう。それでは生きている間に手にいれたものとは無駄だったのだろうか?
僕自身は、お金があればもっと幸せになるのに。結婚したら、子供ができたらもっと幸せになるのにと思っている。が、もし自分に死が迫ってきたならすべてを手離さなければならない。普段は考えないことだが、仏教を学んでいくと、事実であることがはっきりとわかってくる。
仏教では死がきても崩れない幸せが説かれているという。そんな幸せ誰からも聞いたことがない。あるわけないじゃん、と思っていた。でも、仏教を学んでいると死がきても崩れない幸せがあることがわかってくる。疑いながらも、そんな幸せがあるならもっと学んでみようかなという気持ちになり、どうやら本当にあるらしいかも、と気持ちが変わってくる。せっかくそんな幸せがあることを知ったのなら、ぜひその身になれるまで学び続けていこうかなと思うようになった。
仏教の面白さは教えが人生とリンクしていて、こういう場面ではこの教えが使えそうだとか、こっちはまた別の教えが使えそうだということがいくつもあることだ。それがわかってくると、死がきても崩れない幸せというのも本当にあるんだなと思えてくる。
仏法は聴聞に極まる。
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