志村けんが、ザ・ドリフターズの一員として『全員集合』に出始めた頃のことをよく覚えています。いかりや長介や加藤茶といったお馴染みのメンバーの中に突然、まだ若い志村が「メンバー見習い」を経て正式に加わったものの、最初は「よそ者」のように思え、あまり笑えなかった気がします。実際、この時期は志村にとっても辛い時期だったようで、「僕が入ってから1年くらいは、自分はあまり受けた記憶がない」と振り返っています。それまで身を乗り出して見ていた客が、志村が出た途端にサーッと退いて、シーンとなるのが手に取るようにわかったというのですから、志村はもちろん、他のメンバーにとっても不安な時代だったのではないでしょうか。そんな志村が大ブレークしたのは「少年少女合唱隊」で「東村山音頭」を歌ってからのことですが、以降はまたたく間に加藤茶を凌ぐ人気者となり、「全員集合」が終わった後も『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』や『志村けんのバカ殿様』など、「志村」の名前が入った番組がいくつも生まれ、志村は2020年に亡くなるまで、長くお笑いの世界のトップランナーであり続けました。

志村けん 1950年―2020年、東京都出身。小学校の教頭を務める厳格な父親のもとで育った反動で「笑い」を志す。高校三年生の時、ザ・ドリフターズの付き人となり、1974年荒井注の脱退に伴い正式メンバーに。「東村山音頭」「ヒゲダンス」などのギャグで一躍子供たちの人気者となる。
「人間、つらいことがあっても、笑っていれば、瞬間、そのつらさを忘れることができる。たとえ一瞬でも。そういう笑いをつくれれば、僕は十分なんだよね」この言葉にはとても共感する。つらいことがあったり、失敗したり、うまくいかないとき、お笑い番組を見てたくさん笑うことで元気になることができる。数あるコメディアンのなかでも志村けんは抜群に面白かった。人を笑顔にすること、それは幸せにすることだといえる。仏教では人を幸せにすることを自利利他という。他人を幸せにすることが自分の幸せになる。志村けんは利他の心がとても強かった。
「天才なんて、どこにもいない。努力できる人間が天才なんだ。でも最近は、その前にやめちゃう人が、あまりに多いんだよ」志村けんは天才コメディアンだといえるが、最初から天才だったわけではない。努力に努力を重ねたからお笑い界のトップランナーとしていつづけることができた。そんな志村けんだったから後輩たちが努力を続けられないことを歎いていたのだろう。仏教では努力を精進という。またまいたタネに応じた結果になるといわれる。まいたタネ(努力)が多ければ多いほどその結果も大きくなる。

「まずは忍耐。それから心をこめてやっていればいつかは通じる、わかってくれるってこと」志村けんの好きな言葉に「忍耐」があったという。コントを作るためには数多くのスタッフや共演者の協力が必要だった。志村けんは自分が好きなことを自由にやれるようになるためにはかなり我慢が必要で、我慢することでみんなの理解と納得を得ていた。志村けんがそんなふうに考えていたのは意外だった。志村けんって真面目だなと思ったし、だからこそ面白いコントを作ることが出来たのだなと納得がいく。仏教では忍耐を忍辱という。「忍耐はすべての道を通す」という言葉もあり、仏教では忍耐することが大事だと説かれている。
本書には他にも人生で役立つ言葉がたくさんあり、とても勉強になる。また、志村けんの哲学を知ることができ新たな一面を発見することができる。
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