要約
座禅とは
→ 聖道門 お釈迦さまが教えられた六度万行の一つ禅定からきている
禅定とは
→ 散り乱れている心を静めること 反省すること
座って禅定することを座禅という
親鸞聖人 心を静める修行を比叡山でなされたが、とても心を静めることができなかった
定水を凝らすと雖も 識浪しきりに動き 心月を観ずと雖も 妄雲なお覆う (親鸞聖人)
親鸞聖人は自力聖道仏教では救われないと比叡山を下りられた
念仏
→ 浄土門 心が散り乱れているものをそのまま救う弥陀の救いが説かれている
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず 仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず (親鸞聖人)
念仏者は無碍の一道なり (親鸞聖人)
念仏には三通りある
自力の念仏
→ 万行随一の念仏
→ 万行超過の念仏
他力の念仏
→ 自然法爾の念仏
念仏者 = 信心の行者 信心決定した人 弥陀の本願の船に乗せていただいた人
大悲の願船に乗じて 光明の広海に浮かびぬれば (親鸞聖人)
大悲の願船に乗せていただくにはどうすればいいか?
→ 仏法は聴聞に極まる
感想
親鸞聖人はどれだけ座禅しても心が静まることはなかったという。聖道門では救われることはないと悟り下山された。浄土門を知り、心が散り乱れていてもそのまま救われる弥陀の救いにあわれた。
僕の中では仏教といえば、座禅というイメージがあった。座禅をすればストレスも減りメンタルヘルスにいいと聞いたことがある。昔、鈴木大拙の本を読んで禅は日本文化に多大な影響を与えていることを知った。プロ野球選手もお寺にいって座禅をして精神統一する修行をしているということも聞いたことがある。また、スティーブ・ジョブズも禅の影響を受けていると本にかいてあった。
しかし、いくら座禅をしても心を静めることができなかったという親鸞聖人の告白は、とても驚いた。座禅は心が落ち着くものだということを覆されたからだ。
親鸞聖人は聖道門では救われないと比叡山を下山された。そして浄土門とであわれる。弥陀の本願こそがすべての人を救うことができる教えだと悟られた。
僕自身の今までの価値観ががらりと変えられたことにとても驚いている。
これからも学びを続けていきたい。
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