すべての人は煩悩具足の凡夫

要約

魂の向上

動物 → 人間 → 刑務所 → 普通 → アリストテレス ニュートン → キリスト 釈迦

親鸞聖人 常没流転の凡愚

→  一向に向上も無ければ進歩もない 同じことを永遠に続けている

この世に生まれてきたのは魂を磨くためか?

動物の世界では動物は大量虐殺はしない

→  自分が食べる分だけ殺害する

人間は動物を大量虐殺する

→  自然の生態系を壊すほど殺害する

人類が進歩してきた過程に、おびただしい動物たちの死骸が散らばっている  (ハラリ サピエンス全史)

普通の人と刑務所に入った人と何が違うか?

さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし  (親鸞聖人)

普通の人と刑務所に入っている人とは縁がきたかどうかの違い

すべての人は煩悩具足の凡夫

→  欲いっぱい ねたみ そねみの心ばかり

感想

仏教では魂レベルの高い人というのはいないと教えられる。それはすべての人は、煩悩具足の凡夫であるからだという。どんな聖人君子でも欲いっぱいの煩悩を持ち、普通の人と変らない。

この世に生まれてきたのは、魂を磨くためだときいたことがある。自己を磨き少しでも生まれたときよりも成長すること。世のため人のためになることをすることが大事。魂を磨くことが人生の目的だという。それを知ったときは、なるほどそうだなと思っていた。

しかし、仏教では人生の目的とは後生の一大事の解決だと教えられる。魂を磨くことは、どう生きるかということであり、生きる手段だと説かれる。それは生きている間いかに幸せに過ごせるかということであり、死がきたら崩れてしまう幸せである。後生の一大事の解決とは、死んだら浄土に往って仏に生れることが決まること。そうなれば、たとえ死がきても崩れない幸せになれたということだ。それが人生の目的だと仏教では説かれている。

仏教を学んでいると世間一般の価値観と違うことがわかってくる。しかし、その違いにも論理的な理由があるから納得がいく。

仏法は聴聞に極まる。

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