要約
悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍の如くなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞ名けたる (親鸞聖人)
仏教では心で何を思うのかを一番重要視する
すべての人はとても人にはいえないことを思っている
→ 本性は心
外面菩薩 内面夜叉
心口各異 言念無実
親鸞聖人 9才~29才まで比叡山で修行された 模範的な人だった
→ しかし29才のとき下山された
→ 修行してもこんな悪性が救われることはなかったと絶望された
蛇の心 愚痴の心
→ ねたみ そねみ うらみ
→ 人の不幸を笑う心 愉快に思う
→ 人の幸せを祝ってあげられない むしろ苦々しく思う
蠍の心 毒を持っている
→ 瞋恚(怒り)
→ 怒ると何をするかわからない
→ 包丁を持っていたら切りつけるかもしれない
→ 崖の上にいたなら突き落とすかもしれない
毒のこもった善
→ お礼 見返を求める心
→ 私が、誰々に、何々をしたということをしっかり覚えている
→ 友達に10円貸して返ってこなくても怒りはわかないが、友達に100万円貸して返さないと怒りがわく
虚仮の行
→ 偽善であるということ
感想
自分の中に蛇や蠍の心があるという。普段はあまり考えないことだが、仏教の教えを聞くととても納得がいく。思わず、目を背けたくなるようなことだがそれが事実であると思う。特に自分にとって嫌いな人に対してそれは如実にあらわれる。
親鸞聖人は9才~29才まで比叡山で修行されたが、こんな悪性が救われることはないと絶望されて下山された。自分の中には蛇や蠍の心しかない。そこまで徹底して自己を見つめられるのは、並大抵のことではない。親鸞聖人は仏教の教えに真摯に向き合い、また自分の心をごまかさず徹底的に見つめられたからこそ下山された。すごいとしかいいようがない。
人の本性とは、とても見たくないし見せたくないものだった。そんな悪性しかないすべての人が救われる教えが説かれているのが浄土真宗だという。親鸞聖人は、下山されてから法然上人と出会い阿弥陀仏の本願を知り救われた。そして阿弥陀仏の本願ただ一つを生涯説かれ続けた。
仏教の教えは人間の醜い部分を徹底的に明らかにしている。
だからこそ、本当の救いが知りたくなる。
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