疑いながらも聴聞を重ねる

要約

教行信証の冒頭のお言葉

誠なる哉や 摂取不捨の真言 超世稀有の正法 聞思して遅虜することなかれ (親鸞聖人)

摂取不捨の真言とは

摂る     逃げ回っている者を追いかけて追い詰めてとる

取る     そこにあるものをとる

捨てられる  捨てられないかびくびくしている

まことに死せんときには かねてたのみおきつる 妻子も財宝も わが身には一つも 相添うことあるべからず されば死出の山路のすえ 三途の大河をば 唯一人こそ行きなんずれ  (蓮如上人)

摂取不捨の利益 = 絶対の幸福

生きる目的とは?  信心決定すること

感想

親鸞聖人の生きる目的は摂取不捨の利益、絶対の幸福になることだった。絶対に捨てられることのない幸せがあるという。たとえ老いがきても病になっても死が来ても崩れない幸せ、それが絶対の幸福。そんな幸せがるのだろうか。

そんな幸せとは仏教を聞くまで、誰からも、どんな本を読んでも聞いたことがない。

親鸞聖人も誠なる哉や、本当だったといわれるのは絶対の幸福があるのかという疑いの心があったということだろう。どんな人も疑いの心を持ちながら、仏教を聞いているのだと思う。

しかし、疑いながらも聞き続けると一念で摂取不捨の利益になることができる。本当だったと歓喜がおとずれる日がくるという。

僕にはまだ疑いの心がある。でも聴聞をやめようとは思わない。疑いがはれるるまで聞き続けていこうと思う。

なぜなら、絶対の幸福になった瞬間を確かめてみたいから。

コメント

タイトルとURLをコピーしました