仏教の葬式は追善供養のためではない

要約

冥福を祈る 引導をわたす 戒名を授ける 末期の水を取る 四十九日 清め塩

→  これらは浄土真宗ではない

他宗   →  追善供養

浄土真宗 →  聞法のご縁

親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。  (親鸞聖人)

如来の願船 いまさずは 苦海をいかでか わたるべき  (親鸞聖人)

→  如来の願船に乗るために真剣に仏法を聞く

現代の葬式の意義とは?

→  故人の思いや生き方を偲ぶ  グリーフケア  故人の引き合わせ

仏教の葬式の意味とは?

→  聞法のご縁

感想

仏教の葬式は追善供養のためにあると思っていたが、そうではなかった。仏法を聞くご縁とすることが本来の目的だった。

僕自身、葬式にでたときは亡くなった人のことを供養するという意味ででていた。今ままでありがとうございました、安らかにお眠りください、と心のなかで思っていた。

葬式にでると、いつかは自分の番がやってくるだろうなと思う。人生とは何だろうと考えさせられる。そんなときに仏法を聞く大勢がつくられるという。確かにそんなときに仏教の教えを聞く機会があれば、真剣に聞くきになる。

仏教を正しく説かれる善智識に会うことは難しいといわれるが、葬式で正しく仏教を教えてくれる僧侶にあったことがない。

善智識に会えたことに感謝したい。

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