序章 「陰隲録」を読む意義
『陰隲録』をどういう意味でお話しするかと申しますと、これは時局において最も活きた、深い意義・効用があると思うからであります。と申しますのは『陰隲録』は運命と立命の学問である。ところが今の日本の状態はどうか。誠に運命的に恐るべき危機にはいっておる。運命として観ずると、どうなるかわからない。さすがに暢気な人々も――と言っては語幣がありますが――平生忙しくして、真剣に考える暇のない指導階級の人々も、この世界的な変局に刺激されて、このままでは一体日本はどうなるであろうか、したがってまた自分達はどうなるであろうか、とようやく不安・心配の念を懐き始めてきたようでありますが、しかしただ心配するだけではどうにもなるものではありません。われわれはなんとしてでも、これを運命的に放置しないで、成り行きのままにまかさないで、立命しなければならない、創造的にしなければならない。『陰隲録』はその立命・創造の仕方を細々とわれわれに教えてくれるのであります。

本書の著者 安岡正篤 明治31年大阪生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。昭和2年㈶金鶏学院、6年日本農士学校を設立。東洋思想の研究と後進に努める。戦後、24年師友会を設立、政財界のリーダーの啓発・教化に努め、その精神的支柱になる。その教えは人物学を中心として、今日なお日本の進むべき方向を示している。
書経の太公篇に「天の下した禍は自分の善業によって尚転ずることはできるが、自分の作った禍は決して避けることはできない」というてある。(中略)今よりお前さんが徳を拡充し、力めて善事を行い、多くの陰徳を積んでいけば、これこそ自分の作る徳であって、これを享受できないということはありえない。境遇の上においても必ずそれだけの福が実現するのである。(中略)『易経』開巻第一にも「善を積んできた家には、その一代だけでなく、必ず子孫にも及ぶ慶福がある」と教えてくれる。この言葉は自分の行いによって幸せも不幸もやってくることを教えてくれる。幸せになりたければ善い行いをすることが大事だ。それを中国の古典である四書五経の言葉を引用して教えている。仏教の教えのなかには因果の道理がある。善因善果、悪因悪果、自因自果。善い行いをすれば善い運命に、悪い行いをすれば悪い運命に、自分のやった行いが自分の運命になると教えられている。
天命や運命というものは人間にとってどうにもならぬものではないとうことです。創造・変化・造化という天の厳粛な理法に従って行じておれば、自ずからその理法に従うところの当然の、必然の結果を得るのである。それは人の知恵や欲望を超越したものである。自分の天命や運命は最初から決まったものではなく、自分の行いしだいで変えてゆくことができる。そういわれると、なんだか元気がでてくる。これからの未来は今にかかっている。仏教の教えの中に、「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」という言葉がある。未来どうなるか知りたければ、今の行いを見ること大事だという。また、「現在は過去と未来を解く鍵である」とい言葉もある。

『陰隲録』の著者袁了凡は、明代、呉江の人、嘉靖年間から萬歴年間を生き、七十四歳で亡くなった。代々学者の家に生まれ、初め医を学んだが、孔という不思議な老人に出会い、その予言に従って科挙に志した。その後、彼の一身上に起こったことがことごとく、孔老人のいうとおりになったので、彼は徹底した宿命論者になった。後、北京に出て、棲霞山中に雲谷禅師を訪ね、その立命の説に強く感動し、禅師の教えに従って、徳性を拡充し、善事を力行し、多くの陰徳を積んだところ、孔老人の予言は段々と当たらなくなり、科挙に及第し、五十三歳で死ぬと言われたのに七十四歳まで生き、子に恵まれないと予言されたのに、一子天啓をもうけることができた。この天啓のために自分の体験を書き留めたのが、この『陰隲録』である。陰隲録の面白さは、フィクションではなく、体験記であるところだと思う。実際に起きたことだと思うと、その行動には信憑性があるし自分もやってみようという気持ちになる。経営者の稲盛和夫さんが自身の著書でたびたび「陰隲録」を取り上げていたのは、運命をよくするためには善い行いをすることが大切であることをよくわかっていたからだろう。運命について真剣に考えていれば、誰でもたどりつく思想だと思う。
本書は「陰隲録」をもとに、安岡正篤さんの幅広い知識から運命について語られている。本書を読んだなら、ぜひ仏教も学ぶことをおススメする。運命の仕組みとは、こうだったのか、と目から鱗が落ちること間違いなし。
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