野村克也の人間通

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書籍

野村克也

1935年生まれ。現役時代は南海ホークス、ロッテオリオンズ、西武ライオンズで活躍。日本プロ野球史上における、王・長嶋と並ぶ野球人。通算試合出場数は歴代1位。通算安打数および通算本塁打数は歴代2位。引退後はヤクルトスワローズ、阪神タイガース、アマチュア野球のシダックス、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務めた。

主な著書に『野村ノート』(小学館)『私が野球から学んだ人生で最も大切な101のこと』『この一球』(以上、海竜社)など多数ある。

はじめに——野球という縁に生かされて

野球と人生は不即不離

二月五日が何の日か、ご存じの方はそう多くはないだろう。この日は、「プロ野球の日」と定められている。

一九三六年(昭和11年)二月五日、日本のプロ野球は、巨人、大東京、東京セネタース、名古屋、名古屋金鯱、大阪タイガース、阪急の七球団が参加する「日本職業野球連盟」として産声をあげた。以来、第二次世界大戦での一年余の中断をはさみ、今日まで八〇年近い歴史を積み重ねてきた。

これまで、どれだけの数の人間が選手として、あるいは監督や指導者として日本のプロ野球に関わってきたか、詳細なことはわからないが、私もその末席に列なる者の一人である。

(中略)伸びる人間は、野球選手であれ、一般人であれ、共通している。感性が鋭く、問題意識や明確な目標を持ち、努力することをいとわない人間である。自分が何のために生きているのかに自覚的で、生かされていることに対する感謝の念を忘れない人間である。

本書は、野村克也さんが野球人生で得た人生哲学が書かれています。その哲学は、野球だけに通じるのではなく広く一般的な人たちに対しても金言となります。

本の中で僕自身が心に残った場所を3つ紹介したいと思います。

変化 社会の変化に対応できるか否かが、紙一重の勝負を分ける

感じる力を持っている人は、絶対に伸びる。感じるということは、ちょっとした変化や移ろいに気づくということなのだから。

この社会は、日々、変化していく。変化の連続である。その変化をいかにして捉え、その変化に対応していくことができるかが、紙一重のところで勝負を分ける要因となる。あるいは、その人間の成長につながっていく。変化に対応できないものは、残念ながら滅びるしかない。

この言葉から、ちょっとした変化に気づくことがいかに大事かがわかる。変化に気づくためには普段からよく”みる”ことが重要だと思う。ただなんとくなくみるのではなく意識して”みる”ことをしなければ気づけない。

大きな変化ならたまにだが、小さな変化なら普段の生活のなかで起こっている。それを意識できるか。

社会の変化に気づき、自分自身も変化をしていきたいです。

努力 努力に即効性はないが、決して人を裏切らない

「言うは易し、行うは難し」とは、よくいったものである。その典型が、努力と呼ばれるものかもしれない。もっと努力しましょう、努力すればなんとかなる、努力に勝る天才なし……など、いとも簡単に、人は努力しましょうという言葉を使う。しかし本当の努力というものは、そう簡単なことではない。

まず、努力は地道なものである。小さなことを単純にコツコツ積み上げるしかない。それが、やがて大きな成果につながるということが頭でわかっていても、それを継続させることは、並大抵の意志ではかなわない。

(中略)その努力が、すぐに結果に結びつくわけではない。否、むしろ、努力が効果を発揮するには、それなりに長い時間が必要である。すぐに結果が出てくるようなものは、もともとたいした問題ではないし、一時の見せかけであることが多い。

(中略)あのときの努力が、こんな形で報われるとは思わなかったというようなことが人生では起こり得る。つまり、努力はその人を裏切らないのだ。

努力は大事だとわかっていても、継続することは難しい。それが、自分にとって好きなことなら、まだ続けることもできるが、苦手なことの場合とても苦労する。

僕自身は暗記したいことがあるのだけれど、どうも苦手でさぼってしまう。何度も挑戦しているけど続けられなくて困っている。

コツコツ努力を続けることは、簡単なようで難しい。まさに「言うは易し、行うは難し」である。

あきらめない 簡単にあきらめていては、新しい自分には一生出会えない

私は入団一年後、いったんクビを宣告された。それは、来年はなんとか頑張るぞと思いながら、二年目の契約に行ったときのことだった。球団の契約担当から、「来年から練習で苦しまないで済むぞ」と、いきなりいわれてしまったのだ。「どういうことですか?」とたずねる私に、「クビだよ」のひとこと。思わず「納得できません」という言葉が口をついて出た。試合はおろか、練習にもまともに参加させてもらえないままクビになるなど、納得できるわけがなかった。

(中略)「もしここでクビになるようなら、もう生きてはいけませんから、南海電車に飛び込んで死にます」

(中略)「よーし、わかった。もう一年、面倒をみてやる」それによって、なんとか私は救われた。あのとき簡単にあきらめていたら、いまの私はなかった。

(中略)あきらめが役に立つのは、新しいことを始めるときだけといわれるが、新しくやり直すことなど考えられなかった私は、とにかく粘るしかなかった。

もし簡単にあきらめていた、今日のような野村克也さんは存在しなかった。

僕自身は何度か転職を繰り返しているが、あきらめることが多かった。この仕事は自分にはあわないなと思ってしまう。転職して次こそは長く続けると決意するが、いざ始めてみるとやっぱり違うなと思うことばかりだった。

しかし、ブログだけはあきらめない。粘り強く続けていきたい。

ここであきらめたら、もう他はないと思っている。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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