勝負論 ウメハラの流儀

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僕は、日本人として初めてプロのゲーマーになりました。そして気がつけば、「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー」になっています。それは、僕がゲームで勝ち続けていることの結果です。7歳年上の姉がしていた、『スーパーマリオブラザーズ』が、僕が初めて遊んだゲームでした。僕の両親は共働きでしたから、子供の頃、下校時間からの数時間は、ゲーム一色でした。とにかく出合った時からゲームは好きで、工夫や努力によって結果が出る繰り返しが楽しく、いつでも熱中できました。当時僕は青森県に住んでいて、小学校2年生の時、東京に移ってきます。その頃から僕は、自分の生き方に、違和感のような、危機感のような気持ちを抱いていたのです。いったい自分は、どこに力を注ぎ、どんな努力をして、何を成し遂げたいのか。スポーツは得意だし、才能はあったと思います。でもその世界で努力をしようという気にはどうしてもなれませんでした。

本書の著者 梅原大吾 1981年青森県生まれ。日本人初のプロ・ゲーマー。14歳で国内最強となり、17歳で世界大会に優勝。10年4月にはアメリカの企業とプロ契約を結ぶ。同年8月「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロ・ゲーマー」としてギネスに認定される。ゲームへの思いや勝負哲学を自らの生い立ちとともに綴った初の著書『世界一プロ・ゲーマーの「仕事術」勝ち続ける意志力」(小学館101新書)はゲームファンのみならず、多くのビジネスパーソンからも高い評価を受けている。

「勝つ」の反対語はもちろん「負ける」だが、「勝ち続ける」という言葉の反対は、挫折になるのではないだだろうか。この間には、大きな違いがあるように思う。何らかの「負け」を経験することで、自分には才能がないとか、もう芽がないと思う。だから続けることをやめ、諦める。そしてその先は「諦めてしまった自分」「投げだしてしまった記憶」を背負いながら「自分は負けたのだ」と感じながら生きていく。この言葉は深く僕自身に刺さるものだ。僕は中学時代、バスケ部でエースだったが辞めてしまった。その理由は、試合に勝てないことを周りの仲間のせいにしたからだった。辞めた後は、途中で投げ出してしまったことが心にひっかかり、また仲間とは疎遠になってしまい中学生時代は暗いものになった。仏教では他人のせいでこうなってしまったという他因自果を否定している。すべて自分に起こったことは自分の行いの結果である、自因自果と説かれている。他人のせいにしていたらいつまでたっても成長できないし、うまくいかないことは自分に原因があると思わなければ改善の余地はない。

『勝ち続けることは、同じメニューを食べ続けないこと』勝ち続けること、成長することは、結局「できないことができるようになること」であり、「知らないことを知ること」ともいえる。そして表面的な勝利の確率は、できないことができること、知らなかった知識が増えたことによって、結果的にはより高くなる。勝ち続けることの定義を考えたことがなかったので、この言葉を知ったときは目から鱗が落ちる気持だった。同じメニューを食べ続けないとは、たえず新しいことを知ることであり、変化をしていくということだと思う。僕自身も一日の生活のなかで、何か新しいことを一つはやろうと試みている。

『回り道が必ず役に立つ』どんな分野、どんな種目であろうと、その時の自分が心から取り組みたいと願い、思考を重ねて成長しようとしてきたのであれば、勝ち負けという意味では恵まれなくても、運が向かなくて結果を残せなくても、必ずその後に結びつく何かを得ているといえる。あとあとチャレンジする分野には何も直接的な関係がなかったとしても、かつて悩んだこと、体験したこと、自分なりに得た結論は、不思議に有意義な形で結びついてくのだ。これはまさにそうだと思う。僕自身も今の自分に直接関係がないことでも今の自分に活かされていると思うことはたくさんある。知識や考え方、うまくいったことや失敗したという経験則、どれもが役に立っている。仏教ではまいたタネに応じた結果になると教えられる。まいたタネは縁がきたときに結果となってあらわれる。だからまいタネがすぐに花開かなくてもずっとまき続けなさいよと教えられる。

本書は梅原さんの二冊目の本だが、その内容は勝負哲学についてより深く言及している本になっている。その哲学は人生を生きる上でとても役立ち、実践することで新たな自分を発見することができるだろう。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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