書籍
佐藤愛子
1923年(大正12)年、大阪市生れ。甲南高女卒。小説家・佐藤紅緑を父に、詩人・サトウハチローを兄に持つ。1950年(昭和25)年「文藝首都」同人となり処女作を発表。1960年「文學界」に掲載された「冬館」で文壇に認められ、1969年『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を、1979年に『幸福の絵』で女流文学賞を受賞。佐藤家の人々の凄絶な生きかたを、ありありと描いた大河小説『血脈』で2000(平成12)年菊池寛賞を2015年『晩鐘』で紫式部文学賞を受賞する。ユーモラスなエッセイにもファンが多く、2016年『九十歳。何がめでたい』が大ベストセラーとなった。2017年、旭日小綬章を受賞。

はじめに
佐藤愛子が直木賞(『戦いすんで日が暮れて』)や菊池寛賞(『血脈』)、紫式部文学賞(『晩鐘』)など数々の文学賞を受賞した著名な小説家であることは言うまでもありませんが、同時に佐藤はエッセイの名手でもあります。91歳で連載を開始したエッセイをまとめた『九十歳。何がめでたい』が2017年の年間ベストセラー総合1位に輝いたことで名実ともに国民的な作家となっています。
佐藤の『九十歳。何がめでたい』がたくさんの人に支持されたのには理由があります。刊行にあたり、ほぼ同年代の瀬戸内寂聴が解説しているように、ほとんどの高齢者が内心では思っていても、口に出して言えない「いちいちうるせえな」といういことを佐藤ははっきりと言いますし、オブラートに包むことなくはっきりと書くからです——
本書は佐藤愛子さんが人生で得た哲学を80個の言葉で紹介した本になっています。
その一つ一つの言葉には、学ぶことが多く、また共感することがたくさんあります。
激動の昭和から平成にかけて生き抜いた人生は、まさに波乱万丈です。
80個の言葉の中から僕が心に残ったところを3つ紹介します。
マイナスならプラスに変わる時まで待てばいい
佐藤愛子の人生は、「波乱万丈」という言葉がぴったりくるほど激しいものです。(中略)傍目には大変な人生ですが、佐藤はこう振り返っています。
「上がったり下がったりで、運がいいのか悪いのかわかりません。でも、そもそも倒産や離婚がなければ『戦いすんで日が暮れて』は生まれてはなくて、直木賞ももらっていなかったかもしれない」
人生はマイナスがあると次はプラスに変わっていくものだから、今マイナスだからと悲観する必要はなく、マイナスがプラスに変わる時まで待てばいいというのが佐藤の人生に対する見方です。
人生がマイナスな時にはこの先ずっとこのままかもしれないと悲観することがあるが、その必要はないという。マイナスのあとにはプラスがやってくる。
逆に今人生がうまくいっていてもそれがずっと続くことはなく、いつかはマイナスに転じることになる。
すべてのものは続かない。
これは仏教の諸行無常に通じる考え方だと思いました。
「世の中は思い通りに行かない」が生きていく基本
人生相談で些細なことで文句を言う若い女性たちに対して、こう諭します。
「世の中、すべて自分の思い通りに行かないものであることを、人は幼稚園に入ったあたりでもう既に経験している筈です」
世の中は思い通りに行かないと知ることが、生きていく秘訣でもあるのです。
自分が思い描いた未来にならないことはよくあります。年始に今年の目標をたてることがあるが、なかなか目標通りにいくことはないです。
ましてや、二年後や三年後のことはどうなるかわかりません。
仏教では求めても得られない苦しみのことを求不得苦といいます。
世の中は思い通りに行かないことは2600年前のお釈迦様の時代から変わらない苦しみです。
原因は「外」にではなく「自分の中」に求めよう
人生の苦難にあった時、「誰かのためにそうさせられた」と考えれば、「自分のせい」ではないだけに気持ちは楽になりますが、佐藤愛子はそうではなくて、原因は「自分に求めた方がいい」と考え、こう話しています。
「人生の苦難にあった時、自分の人生を選んだのは自分だと思った方がいいんじゃないかと思います。何があろうと、自分の性質のお陰でこうなったと思えば誰も恨むことはないし、心平らかに反省の日々を送ることができます」
苦しいことや辛いことがあった時、あいつのせいだ、こいつのせいだという気持ちになることはよくあります。しかしそれでは恨みの心しか残りません。
僕自身も仕事でトラブルがおきたとき、あつのせいだと恨むことがありました。なかなか自分に原因があると思うことはできませんでした。
恨みの心をかかえると、イライラするし、人に当たってしまいます。
うまくいかないことを誰かのせいじゃなく、自分の責任だと考えることは難しいですがそう考えるようにしています。
仏教ではよい結果も悪い結果もすべては自分の行いに原因があると教えられています。それを自因自果といいます。誰かのせいでこうなったという、他因自果はないと教えられています。

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