幸せな人だけが知っている生き方の正解

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要約

■ 他人のために生きることが幸せになる脳科学的理由

ℚ 樺沢先生の「他人のことを考えている暇はない」という発言と、それでも精神科医としてYouTubeなどで有益な発信をして人を助けている行動が一見矛盾しているように感じます。他人のことに興味がないなら助ける必要はないのでは? このあたりを解説いただけると助かります。

Ā 「情けは人の為ならず」というのは自分のためという意味。これは脳科学的にも正しい。人に親切をすると自分と相手の両方にオキシトシンがでる。人に感謝するとセロトニンとドーパミンがでる。自分にも相手にもでる。

・ つまり何か親切をしたり役立つことをして感謝された場合、セロトニン・オキシトシン・ドーパミンが大量にでる。それら3つとも幸福物質ですごく幸福感を感じる。

・ それはお金を得ることとは比べものにならない、たくさんの幸福物質です。お金を得ることで分泌される幸福物質ドーパミンには依存性がある。1回100万円もらうと次は200万円もらわないと嬉しくない。ドーパミンで幸福を求めても永久に幸せになれない。

・ 人に親切したり、他者貢献することで得られる幸福感は依存症にはならない。人を助けたりする他者貢献こそが最高の幸せである。自分の利益のために他人に施していい。自分の利益のために他者貢献をする。

・ 私(樺沢)は他人に興味はないが、患者が自殺したら傷つく。傷つく理由は自分にある。人間は自己満足であり、自分のために生きている。

・ イエス・キリストやマザー・テレサなら自分の利益を求めずに他人のために、自分のすべての時間とエネルギーを投入することができる。しかし、普通の人がそれをやると必ず燃え尽きて病気になって死んでしまう。

・ 自分が幸せになるために他人に役立つことをする。お互い「ありがとう」といいあう職場で働くのが一番幸せ。生産性も高まり離職率も少ない。

・ また、お互い「ありがとう」という夫婦は離婚もせずにハッピーになれる。「ありがとう」が飛び交うような状況で生活することが幸せになる方法。

◇ 人間というのは、人の間、と書いて人間と読む。人と人の関係性によってセロトニン・オキシトシン・ドーパミンがコンプリートできる。部屋にこもって社会から孤立した場合幸せにならない。

■ 与える人になる方法ベスト3

ℚ 何事も他人から受け取るスタンスを変えたいです。どうすれば他人に与えられる人間になれますか?

Ā 他人にしてもらってばかりの人を樺沢はクレクレ星人と呼んでいる。英語ではテイカーという。他人からもらってばかりでお返しをしない、自分だけが受け取って当たり前だと思っている人は嫌われる。

・ 他人に与える人、親切や気配りする人をギバー(与える人)という。無償で与える人は他人から好かれる。他人から信頼されて感謝される。テイカーからギバーにシフトするほうが幸せに生きる方法。

ベスト① 他人のためにできることを考える

・ 他人に与えることを寄付や募金のことだと思う人は多い。しかし、知っていることを教えるだけでもギブ。時間や労力を提供するのもギブになる。

・ ちょっとした親切、道に迷っている人がいたら教えてあげるのもギブ。小さな親切でいい。

ベスト② 小さな親切をしていく

・ スゴく役に立つことや、スゴく感謝されることをする場合、どうしていいかわからなくなる。できるだけ小さな親切をする。他人に与えることは大それたことに感じるが、基本的には小さなギブを積み重ねるしかない。大きなギブよりも小さなギブを意識する。

ベスト③ 記録する

・ 他人にした親切を記録する「親切日記」をするといい。一日に3回親切をする。それをその日の終わりに記録する。最初のうちは一日一親切をしていくといい。

・ 他人にギブをするといろいろなことが返ってくる。心理学では返報性の法則という。他人に何か与えると、回り回って返ってくる。結果として自分が一番得をするということになる。

◇ 返ってくるまでには時間がかかる。数週間では返ってこないが、半年から三年くらいで何かが返ってくることがある。あまり見返りを期待せずギブをしていると、忘れた頃にいいことが起きる。人生がうまくいっていない人ほど、自分がギブをしているか見直してください。

■ 「親切」に見返りを求めるべき? 求めないべき?

ℚ 親切について質問です。過去動画を拝見したら主張が変っているように思いました。私の読解不足なら申し訳ありません。現在は親切をするときは見返りを求めないほうが望ましいですか? 感謝されたら儲けものくらいの心づもりが良いですか?

Ā 親切に見返りを求めないほうがいいと言っている動画もあるし、見返りを求めたほうがいいと言っている動画もある。どちらも同じ意味。親切を普段からしている人は今のような質問にはならない。

・ 多くの人は親切をしない。一か月やって効果を感じないとやめてしまう人が多い。見返りを求めず親切ができる人はいい。多くの人は見返りを求めて挫折する。小さな見返りを求めるといい。感謝の言葉も小さな見返りといえるし、笑顔でありがとうと言われるのもご褒美といえる。

・ 見返りを求めずに親切をしたりボランティア活動をする人は3年ほどで燃え尽きてやめてしまうが、それは見返りを求めないのでやめてしまう。

◇ 1年ほど親切を継続できるなら見返りを求めても求めなくてもいい。うまく続けられな人や続けて燃え尽きてしまう人がいるので、見返りを求めたいい場合と求めないほうがいい場合がある。

感想

幸せになれる人というのは他者に与えることができる人だという。それは小さな親切でいい。親切をすると脳内にセロトニン・オキシトシン・ドーパミンという幸福物質がでるから幸福感が得られという。これを知ると、積極的に親切をしようと心がけることができる。

僕自身がよくやる日常生活の親切は、車を運転中に対向車線の車が右折しようとしているときに譲ることをしている。また、信号機のない横断歩道で歩行者が待っているときに譲ることなども多い。これらは小さな親切だがやってみると気分がいいし、ゲーム感覚のように楽しめる。比較的継続しやすい親切だと思う。

仏教では他人を幸せにすることで自分が幸せになれる自利利他という教えがある。また、善い行いが善い結果にになるという因果応報が教えられている。仏教は約2600年前に説かれた教えだが、その教えが現代の脳科学で解明された幸せになる方法と同じであることに驚嘆する。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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