人間関係に疲れた時の言葉 心が軽くなる仏教の考え方

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人の悩みの9割は人間関係によるものだと言われます。人間関係の悩みに年齢は関係なく幼い子から老人にいたるまですべての人にとって切実な問題です。

私たちが生きていくうえで避けて通れないのが人間関係の悩みですが、少しでもその悩みが減らせることができる方法が仏教に教えられています。

仏教にそんなことが教えられているの?と不思議に思うかもしれませんが、仏教には”どう生きるか”ということも教えられています。

目次

人間関係がつらくなる原因とは?

人間関係が悪くなる原因は、「自分が正しくて相手は悪い」と思っているときです。

自分のしたことが正しくて相手のしたことが悪いと思うと腹が立ってきます。腹が立つと言わなくてもいいことを言ってしまったり、やってしまったりします。そこから相手との関係が悪くなり、ケンカに発展してしまいます。

人間関係が楽になる言葉とは?

では、どうすれば人間関係が楽になるのでしょうか。

その答えが「自分も相手も不完全な人間である」という言葉です。

なぜこの言葉で心が軽くなるのか

人は誰でも、間違えるし、未熟な部分があるし、感情に振り回される、存在です。

それなのに、無意識のうちに「相手はちゃんとしていて当然」と思ってしまうと、苦しみが生まれます。しかし、「この人も未完成なんだ」と考えられれば、相手を許せる気持ちが生まれてきます。

また、自分がいつも正しいと思いこむこと自体が大きな間違いだと言えます。自分も間違えることはたくさんある、という意識があれば、過度に相手を責めることもなくなります。

仏教の教え「凡夫」という考え方

仏教の教えを学びそれを政治に活かそうとした聖徳太子の言葉に、人間関係を楽にする知恵が込められています。

聖徳太子は今から1400年ほど前のかたで、十七条の憲法を作った人です。その憲法に記されたのが次の言葉です。

我、必ずしも聖に非ず
彼、必ずしも愚に非ず
共にこれ凡夫のみ

意味は、私は必ずしも正しいと言えない。相手は必ずしも間違っていると言えない。共に間違いだらけの人間のやることだから。

これは仏教精神からくる言葉です

【体験】この考え方で人間関係が楽になった

僕自身も、人間関係で悩むときは必ず「自分は正しい、相手が間違っている」と思っているときです。自分が間違っている場合もあるのに、自分は正しいと自惚れてしまう。

聖徳太子の言葉のとおり「自分が必ずしも正しいと言えない。相手は必ず間違っていると言えない」ことをよく覚えておきたいと思いました。

自分が間違うことがあるので相手の間違いを責め過ぎないように気を付けていきたいし、相手が正しいこともあるのでよく耳を傾けていたい。

まとめ

人間関係の悩みは誰にでもあります。

しかし、

「自分も相手も不完全な人間である」

この言葉を知るだけで、心は少し軽くなります。

完璧を求めすぎず、肩の力を抜くことが、人間関係を楽にするコツです。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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